コミュニケーションが苦手で、周りとうまく馴染めない人の居心地の良い生き方。

周りに馴染めない。

大勢と付き合うのは苦手。

グループ作業が苦手。

〈そんなあなたに読んでほしい〉

私も以前は、人の輪に上手く入れなかったり、空気を読めなかったり、気疲れしてしまう。そんな風に人と上手くコミュニケーションを取れない自分を責めてばかりいました。

今、同じように思っているあなたにかけたい言葉。

『あなたはあなたのままでいい』

 

普通って何?

世間には、

【普通は】とか

【常識的に】とか

【もう何歳なのに、、】とか

意味の分からない言葉で溢れかえってる。

漠然と人との違いにモヤモヤしていた頃

自分だけ人と上手くやれていない疎外感

『普通』

子供の頃はそれにフィット出来ないのがしんどかった。

それにフィットしようとするととても窮屈で楽しくなかった。

私は私のやりたいことが沢山あったし、楽しいと思える時間があった。

だけど、そんな私は周りから浮いていたし、大人たちは『ひとりでいる私』は『変わった子供』と認識していたように思う。

小学生時代

私は子供の頃からひとりが平気だった。

友達がいないわけじゃなかったと思う。

誕生日会だって呼ばれてたし、グループ分けで仲間外れにされることもなかった。

友達の家にだって遊びに行ってた。

それなりにうまくやれてたのかもしれないけど、なんとなく人と違うなって思って居心地の悪さがあったりもした。

基本的にひとりが好きだったし、静かに本を読む時間が好きだった。

そんな私は、いつも通信簿に

「協調性が足りない」

って書かれてた。

思えば私の親もその『一般的に、、』からはズレていたのかもしれない。

私の親は通信簿にかかれたそれについて何も言わなかったし、私が熱中して本を読んだり、ひとりでいることを尊重してくれていた。

中学生時代〜高校生時代

やはりグループは苦手で、どこかに属することが苦手なのは変わらなかった。

かといって、勉強や運動が劇的に出来ていたわけではない。

専門学校〜パティシエ時代

ここで専門分野にすすむ。

黙々と何かをするのが好きな私には向いている方だったと思う。

しかし就職先の先輩パティシエとうまくいかず、それを乗り越えれるだけの心の強さもなかった。

夢だったパティシエという仕事から3年で離れることに。

コミュニケーション力も夢もない自分

『普通』を意識しなくてよかった海外生活

とくに憧れていたわけではないけれど、何もなくなったとき、ちょっと海外で暮らしてみようと思い、〈ワーキングホリデービザ〉を使い、海外へ。

私が行ったのはニュージーランド。

島国というのもあってか、日本と気質は似ているように感じた。

とはいえ、日本で居た頃のように、『普通は』とか『一般的に』とかは言われなかったし、感じなかった。

それよりは個々の意見や考えが求められていた。

行動すれば環境も変わった

そうした海外での生活から、

自分は自分。

そのままでいいんだ。

と受け入れれるようになった。

周りとの違いを感じることはあったけど、

それでいい。このままでいい。

と言い聞かせてた。

すると不思議と周りにはそういう考えの人達が多くなり、

気がつけば、『普通』『当たり前』『一般的に』という考えを押し付ける人は居なくなっていた。

『個性』が重要とされる『海外』と『個人事業主』

さらにそれを感じたのは、仕事で独立してからのこと。

それについては過去に投稿したブログがあるのでそれを読んでください。

生き方は人それぞれでいい。

極論、誰かに迷惑をかけなければ好きに生きていい。

誰かの為に生きて、楽しくなかったと人生を終えないように。

人と居るのがしんどければ、ひとりで居るので良い。

それ決めたとき、本当に気を許せる人が何人かいることに気付いたりもする。

 

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